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軍隊による売春の利用と韓国での慰安婦の実態






Japanese Prisoner of War Interrogation Report No. 49
:日本軍の捕虜尋問
報 告書49号でみる韓国人慰安婦の
募集、収入、生活等の実態
―アメリカ国立公文書館にある米軍の戦争関連公文書から







この報告書は・・・・

第二次大戦中に米軍情報部心理作戦班によりビルマで捕虜にした韓国人慰安婦20名及び日本人
 民間人2名に対して行った尋問の内容を記録した報告書である

この報告書は戦争関連公文書として、アメリカの国立公文書館に保管されているもので ある

  国立公文書館に保管されているもののコピーとテキストはこちらCopy & Text/Copy of the Report and Its Text
    kept at the US National Archives as a public document



韓国と日本等で従軍慰安婦について様々の議論があるが、この報告書は、第三国であるアメリカの軍隊 が尋問により
記録した韓国人従軍慰安婦の募集から収入、さらには生活等の状況に関する包括的ものであり、作成者 や経緯からみて
より客観性の高い資料ということができる

ただし、尋問と報告書作成は、米軍の情報部の心理作成部隊により行われていることに留意することが必要である
―日本軍対する心理作戦のための材料を確保するために実施されている―つまり、日本軍に対して批判的な
スタンスで行われていることである―これが逆に客観性が確保されていることにもなる





解 説Summary & Commentは・・・

本ページの作成者による解説である









UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION: 米軍情報部
Psychological Warfare Team: 心理作戦班
Attached to U.S. Army Forces India-Burma Theater: 米軍インド・ビルマ方面作戦部隊所属
APO 689: 郵便番号
Japanese Prisoner of War Interrogation Report No. 49: 日本軍の捕虜尋問報 告書番号No. 49
Place interrogated: Ledo Stockade: 尋問場所:Ledo Stockade
Date Interrogated: Aug. 20 - Sept. 10, 1944: 尋問期間:1944 8月20日 - 9月10
Date of Report: October 1, 1944: 報告書報告日:194410月1
By: T/3 Alex Yorichi: レポート作成者T/3 Alex Yorichi
Prisoners: 20 Korean Comfort Girls: 捕虜:20名 の韓国人慰安婦
Date of Capture: August 10, 1944: 捕虜とした日:1944 8月10
Date of Arrival: August 15, 1944 at Stockade: 尋問場所Stockadeへ の捕虜到着日:1944 8月15


解 説Summary & Comment





尋問対象・・・

1この報告書は、第二次大戦中の1944年にビルマ戦線でアメリカ軍により捕虜となった韓国人慰安婦20名に
対して、米軍情報部の心理作戦班が尋問して作成したものである

尋問・報告書作成の目的・・・

2尋問と報告書作成目的は、日本軍の違法性や非人道性を明確にして対日宣伝工作の材料を得るために
実施したものであることは間違いない

客観的で批判的スタンスで 作成・・・

3これならみて、尋問と報告書の内容は、第三者によるものであり客観性があり、しかも、批判的なスタンスで
行われているものと言える―このため、逆に客観性が高いものとなっている

報告書全体を参照し評価すべき・・・

4従軍慰安婦の採用からサービス提供や生活・給与の実態については、報告書の全体を参照して判断
すべきものであり、その一部を恣意的に引用するなどして違法性や非人道性を議論するのは適切とは言えない

米軍情報部によるその後の扱い・対応を考慮すべき・・・

5また、この報告書は以降の戦争での米軍による宣伝戦に利用するために作成されているが、このよう な
尋問と報告書作成が大々的に太平洋戦争の戦域の全域では実施されていないし、宣伝戦にも
利用されていない
これは、日本軍について慰安婦の違法性や非人道性を宣伝に使うには値しないと判断したものと推測される
もちろん、宣伝に利用すると、要請事項にあるように慰安婦の生命をおびやかす恐れから利用しないようにとの
要請を考慮したものと言える
更に、尋問による報告書で明らかにされた事実が違法で非人道的なものであれば、米軍情報部が、慰安 婦制度について
戦争終了後の極東軍事裁判で訴追をしているのは間違いないが、これが行われて刑罰を受けた という
軍事裁判記録は無いので、米軍、すなわち、連合国軍としては訴追に値する違法性や非人道性は見いだ せない
と判断したものと言える






This report is based on the information obtained from the interrogation of twenty Korean "comfort girls"
and two Japanese civilians captured around the tenth of August, 1944 in the mopping up operations
after the fall of Myitkyina in Burma.

こ の報告書は、ビルマのミートキーナ陥落後の掃討作戦において19448月10日 頃に捕虜とした
20人 の韓国人慰 安婦、 および2人の日本の民間人の尋問から得られた情報に基づくものである。
 
The report shows how the Japanese recruited these Korean "comfort girls", the conditions under which
they lived and worked, their relations with and reaction to the Japanese soldier, and their understanding
of the military situation.

報 告書は、日本人がどのように韓国人慰 安婦を 募集したか、慰安婦達の置かれた生活や労働の条件、
日本兵との関係や対応、そして軍事的状況への認識を示している。

 
A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army
for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese. Other reports show
the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight.
This report however deals only with the Korean "comfort girls" recruited by the Japanese and attached
to their Army in Burma. The Japanese are reported to have shipped some 703 of these girls to Burma in 1942.

"慰 安婦"は、 単に軍人にサービスするため日本軍に付加された売春婦、または"プ ロの非戦闘従軍者"以 上のものではない。
"慰 安婦"と いう言葉は日本人に特有のものである。
他の報告は、どこであれ日本軍が戦うために必要な場所で
"慰 安婦"が 見いだされるということを示している。
しかしながら、この報告書は、もっぱら日本人により募集されて、ビルマの日本軍に配属された韓国人
"慰 安婦"
対象としているものである。
日本人は
1942年 に約703人 の慰安婦をビルマに送ったと報告している。

解 説Summary & Comment

報告書の情報源と情報の属性・・・・

1報 告書は、ビルマのミートキーナ陥落後の掃討作戦において19448月10日 頃に捕虜とした
20人 の韓国人慰 安婦、 および2人の日本の民間人の尋問から得られた情報に基づくものである
―韓国人慰安婦が日本軍の管理下から解放されて米軍捕虜となった状態での尋問で把握された
実態の情報であると判断できる―尋問事項について、自由に発言できる環境下での回答内容と言える

報告書の内容・客観的実態 把握・・・・・

2報告書では、韓国人慰安婦の募集方法、生活・労働条件、日本兵との関係・対応等を取りまとめている
慰安婦について、収入から生活実態や日本軍人との対人関係まで尋問して把握しているのは注目に値す る
というのは、人権・人道問題の有無や悲惨な就業・生活環境であったのかどうかの判断が可能であるか らである−
批判的なスタンスで尋問は行われていると考えられるので、より客観的な実態が把握・記録されている ことを意味する

尋問結果による慰安婦の定義・サービス種類・・・・・

3慰安婦とは、日本の軍人にサー ビスするため日本軍に付加された売春婦、または"プ ロの非戦闘従軍者"で ある
日本の軍人に売春というサービスを提供するためのプロの非戦闘要員であるとして、プロの売春婦と定 義している
つまり、第三者のアメリカが慰安婦の実態を尋問し、対価の支払いの元で売春を行っているプロの女性 であると
認定しているということである
―慰安婦問題を指摘し追求している人たちは、その非人道性や悲惨性を強調しているが、客観的に観察した
米軍の情報部は、そのような問題は一切指摘・報告しておらず、明確にプロの売春婦であると指摘し ている







 Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for "comfort service" in
newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this "service" was not specified but it was
assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making
the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts,
easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representations
many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.

1942年 5月初め、新たに占領した東南アジアの日本の占領地での"慰 安サービス"の ため、韓国人女性を
募集する目的で日本の業者が韓国に到着した。

こ の"サー ビス"の 内容は明確にされなかったが、病院の負傷者を訪問し、包帯を巻き、そして一般的に
軍人を愉快にさせる事と関係した働きだと思われた。これらの業者が用いた誘因は、多額のお金であり、
家族の負債を返済する機会、楽な仕事、および新天地シンガポールにての新たな人生の見通しであった。
これらの虚偽の表示に基づき、多くの女性が海外での仕事に応募し、数百円の前払金を与えられた。


The majority of the girls were ignorant and uneducated, although a few had been connected with "oldest profession
on earth" before. The contract they signed bound them to Army regulations and to war for the "house master " for
a period of from six months to a year depending on the family debt for which they were advanced ...

女 性達の大部分は無学で無教育であり、しかしそのなかの幾人かは以前に"売 春"を 生業としていたものがいる。
彼 女らがサインした契約は、彼 女達を、前払いを受けた家族の負債に対応して、6ヶ月から1年の期間、
軍の規則および
"舎 監"と 戦争に拘束するものであった。

Approximately 800 of these girls were recruited in this manner and they landed with their Japanese "house master "
at Rangoon around August 20th, 1942.They came in groups of from eight to twenty-two.
From here they were distributed to various parts of Burma, usually to fair sized towns near Japanese Army camps.


800人 のこうした女性達がこの様に募集され、そして彼女らはその日本の"舎 監"と 共に1942 8月20日 頃、
ラングーンに上陸した。彼女達は8人から
22人 のグループに分けられた。
ここから、彼女達はビルマの様々な地域、通常は日本軍の陣地近くの相当な大きさの町に配された。


Eventually four of these units reached the Myitkyina. They were, Kyoei, Kinsui, Bakushinro, and Momoya.
The Kyoei house was called the "Maruyama Club", but was changed when the girls reached Myitkyina as
Col.Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina, objected to the similarity to his name.

結 局、そのうちの4グループがミートキーナに到着した。それらは、"Kyoei""Kinsui""Bakushinro"
および
"Momoya"で あった。
Kyoei慰 安所を"丸 山クラブと呼んだが、丸山大佐(ミートキーナ守備隊の指揮官)が自分の名とまぎらわしいと
反対したため、女性達がミートキーナに到着した時に変更された。

解 説Summary & Comment

1尋問で把握された慰安婦の募集状況が把握されている―この報告書で尋問された慰安婦の募集では、
 1942年5月に業者により募集が開始されている

2尋問で把握された募集で示された仕事の内容は、明確には示されていないが、病 院の負傷者を訪問し、
包帯を巻き、そして一般的に軍人を愉快にさせる事と関係した仕事であると説明されたとしている


3募集において、募集業者が示したのは報酬として多額の金銭であった
これは、いわゆる給与が高額であるほか、数百円の前払い金支給があった
前払い金は家族の負債の返済に使えるというのがインセンティブとして利用されている
こ の他、募集では、楽な仕事や新天地シンガポールでの新たな人生の見通しが示されたとしており、
これらの虚偽の表示に基づき、多くの女性が海外での仕事に応募したと尋問で回答し把握されている


4日本軍の文書によると、日本軍は当時の韓国での慰安婦の募集において、募集を担当した業者に対して
 売春婦を優先して募集するように指示している―尋問の報告書でも売春を生業としていたものが応募して
 いると記されている
 また、行う仕事の内容についても、誤解することの無いように明確にして募集するように指示している―
 現実には、あいまいな仕事内容で募集したケースもあったものと考えられる

5しかし、実際問題として、応募者やその家族の認識としては、給与が極めて高額であることや、高額の前払い金が
 認められていることから、募集された仕事内容が、単なる家政婦などということはありえず、売春であることは
 家族も含め当事者は認識していたものと考えられる

6たとえ戦地での仕事とはいえ、当時の日本の将校の数倍倍の給与が家政婦の仕事に払われることはありえず、
 この金額は、当時、日本よりも経済が後進の韓国では更に高額の報酬となることから、本人や家族が単なる家政婦として
 応募したとはとても考えられないものである
 当時の韓国では、貧困な地域では、娘を売春に従事させることが行われていたので、これと同様にとらえていたものと
 言える

7前渡し金を受領していた場合は、その金額に応じて6か月から1年の期間拘束されている

8慰安婦たちは、ビルマの首都ラングーンに上陸した後、主要な町にある慰安所に配属されている―
 この報告書にある慰安婦たちは、ビ ルマ北部のミートキーナにある慰安所に配置されている

9従軍慰安婦に関する批判で「強制連行して従事させ た」というのがあるが・・・・

日本軍から解放された慰安婦に対する尋問で把握し取りまとめられたこの報告書による限り、強制連行 についての
明確な記述もこれ連想させる記述も見当たらない―客観性の高い米軍の尋問報告で見当 たらないということで
あるので強制連行が一般的に行われていたという事実はうかがえないと言える−事実とするならば、当事者の証言などの
明らかにバイアスのかかったものでなく、第三者によって客観資料とともに確認されたものが必要である

また、日本軍関係者による連行・強姦に関する裁判事例では個別の事例を指摘して、あたかも慰安婦制度で一般的に
行われたように記述されているが、個別案件と制度の中で一般的に共通して行われていたものとは基本的に異なるものであり、
慰安婦制度で一般的に強制連行が行われていたとするのであれば、これを客観的資料などで明示・証明する必要がある―
議論・事実のすり替えが行われている

実は、当時の韓国では、韓国人悪徳ブローカーにより農村の女性を誘拐して売春街に売りとばすことが行われていた
日本の警察はそれを防止する警察活動をしていた―当時の韓国の東亜日報が次のように報じている
日本軍は、従軍慰安婦の募集ではそのような韓国の実態を知っていたので、募集で悪徳行為をしないように日本人の
募集業者には文書で厳命していた
韓国の人が日本軍が女性を強制連行したと言っているが、実際は、韓国内で悪徳韓国人により行われていた女性の誘拐・
売春街への売りとばしを指しているというのも皮肉である






10更に、慰安婦問題の批判で人身売買がおこなわれていたというものがあるが・・・

この報告書の尋問で明らかになった実態によると、人身売買は報告されていないし、次のことから
人身売買に該当するものは無いものと判断できる

慰安婦の尋問で人身売買が報告されていない
慰安婦は契約により採用されている―契約による人身売買など無い
月収を明示して行う人身売買など存在しない
前払い金を支払い終えれば帰国できたので、帰国できる人身売買など存在しない
もし、アメリカ軍が人身売買を把握していれば、日本軍批判の宣伝に利用したであろう―また、極東軍事裁判で
 人権問題・犯罪として訴追したであろう
もし、人身売買があったとすれば、売った方の韓国人両親あるいは親族も犯罪者である






The interrogations show the average Korean "comfort girl" to be about twenty-five years old, uneducated,
childish, and selfish. She is not pretty either by Japanese of Caucasian standards.
She is inclined to be egotistical and likes to talk about herself. Her attitude in front of strangers is quiet
and demure, but she "knows the wiles of a woman." She claims to dislike her "profession" and would
rather not talk either about it or her family. Because of the kind treatment she received as a prisoner
from American soldiers at Myitkyina and Ledo, she feels that they are more emotional than
Japanese soldiers. She is afraid of Chinese and Indian troops.

尋 問によると、平均して韓国人"慰 安婦"は おおよそ 25才、 無学で子供っぽく、利己的であるとしている。
彼女達は、日本の、または白人の、どちらの基準で評価しても美人ではない。
彼女達は利己的な傾向があり、自分に関して話す事を好む。
彼女達の態度は、他人の面前では静かで控え目であるが、彼女達は
"女 としての知恵を知っている"
彼女達は、彼女の
"職 業"が 嫌だと主張し、その事、あるいは家族に関して話そうとはしない。
囚人としてミートキーナおよび
Ledoの 米兵から受けた親切な待遇により、彼女達は彼らが日本の軍人より
情緒的と感じている。彼女達は中国とインドの兵士を恐れている。

解説Summary & Comment

1尋問による韓国人慰安婦の個人的特徴は・・・

 平均して25歳、無学、利己的、美人ではない、態度は他人の前では控えめ、しかし、女としての知恵がある

2慰安婦の仕事については・・・

 仕事は嫌であり、仕事のことと家族については話したくないとしている

3 慰安婦が仕事について聞かれて、売春婦の仕事を大好きですと答えるというのは考えられないので
 尋問における通常の回答であると言える

 この回答により、慰安婦としての仕事を無理に強制されて人道的に問題があると考えることはできない
 なぜなら、報告書の以降の尋問結果にあるように、高額の給与で、かつ、厚遇された生活環境のなか で
 仕事を行っていたと考えられるからである








In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house (usually a school building)
with a separate room for each girl. There each girl lived, slept, and transacted business.
In Myitkina their food was prepared by and purchased from the "house master" as they received
no regular ration from the Japanese Army.

They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true
of their second year in Burma. They lived well because their food and material was not heavily rationed
and they had plenty of money with which to purchase desired articles.

They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given
to them by soldiers who had received "comfort bags" from home.

通 常、ミートキーナでは女性達は各々の女性の個室がある大きな2階建(通常は校舎)に宿営した。
そこで、各女性は生活し、眠り、そして仕事をした。ミートキーナでは、日本軍からの通常の配給は
受けなかったため、彼女達の食料は
"舎 監"が 用意し、また、舎監から必要なものを購入した。

彼 女達は、ビルマの他の場所と比較すると、贅沢に生活した。この事は、ビルマでの彼女達の
2年目の境遇に関して特にあては まっている。彼女達は食物と物資について厳しく制限(配給による規制)されておらず、
そして欲しい物を購入するためのお金を十分に持っていたため、良い暮らしをしていた。

家 か らの"慰 安袋"を 貰った兵士により彼女達に与えられた多くの贈り物だけでは足りない物を補うため、
彼女らは服、靴、タバコ、および化粧品を購入する事ができた。


 
While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men,
and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns
they were allowed to go shopping.

ビ ルマにいる間、彼女らは、将校および一般兵の双方と共にスポーツ大会に参加し、ピクニック、娯楽、
および晩餐会に出席して楽しんだ。彼女らはレコードプレーヤーを保有し、そして町では買い物に行く事が
許されていた。


解説Summary & Comment


1慰安婦は個室が与えられ生活していた
2食料・物資については、日本軍の配給物資ではなく、食料は慰安所の舎監から支給され、その他の必 要物資は
 給与から購入していた
3ミー トキーナに位置された慰安婦は贅沢な生活していた―良い暮らしぶりと報告されている
4慰安婦については、配給による物資の制限が無く物資面でも厚遇されていた
5高給であったため、必要な物資は自由に購入することができた
6慰安婦は、日本兵に本国の家族から送られてくる「慰問袋」から、兵士たちから多くの贈り物をも らっていた
大切な慰問袋で送られてくる物品を慰安婦はもらっていたので、兵士たちからも厚遇されていたと 言える
7したがって、慰安婦たちは、これら贈り物でも更に足りないもの、服、 靴、タバコ、および化粧品を
自己負担で購入すればよかった

8生活ぶりについては、慰安婦たちは、将校や一般兵のいずれとも、スポーツ大会に参加し、ピクニックや
娯楽、晩さん会を楽しみ、街への買い物も許されていたと報告書で把握されており、戦地にもかかわらず、
極めて良好な生活環境にあったと言える
9これらからみると、慰安婦たちは、食料・物資面では戦地にもかかわら ず、極めて厚遇されていた
10また、生活は贅沢で良い暮らしぶりと尋問の報告書で評価される実態 であった
11慰安婦たちは、多数の日本兵士達から、物資の贈り物をもらってお り、物資・人間関係面でも厚遇されていた
12生活ぶりは、戦地にもかかわらず、極めて良好な生活環境にあったものである
13これらの生活条件を総合すると、第三者の米軍も、違法性や人権や人道上の問題を指摘できないよ うな
極めて良好な生活環境・人間関係であると言え、反日本軍の宣伝材料にはならないものと米軍は判断し たものと
考えられる
また、極東軍事裁判での訴追では、人権侵害や非人道性の訴追を行う事案にはとても該当しないものと 判断したものと
推測できる
141993年の河野洋平内閣官房長官談話では「慰安 所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」
と明確に認めているとしているが、第三 者の米軍が批判的なスタンスで尋問を行いまとめたこの報告書は、前記のように
それと全く符合しない
ものであるので、談話自体が事実把握で正確性を欠 いているものと言える―高収入とぜいたくな生活、
厚遇された生活環境であると尋問結果が報告されている
談話をまとめた根拠が事実を正確に反映していない可能性がある

―談話が人権侵害や非人道性を認めているものであれば、なぜ、極東軍事裁判でそれらの訴追がなされていないのか
説明する必要がある
また、当然、談話の見解の根拠の客観性についても明確にされる必要がある

15従軍慰安婦についての批判で は・・・

居住の自由が無い、外出の自由が無い、自由廃業ができない、拒否する自由が無いとして、更に、これは性奴隷制 度であるとしている

居住の自由は、戦地であるので危険であることから制約されるのは合理性がある―これが無いことで批判するのは妥当でない

外出の自由については、買い物などが認められており、自由はあるので間違いである

自由廃業ができないについては、前渡し金を清算できれば、希望で帰国が可能であったので、間違いである

拒否する自由が無いとしているが、「スケジュール」の項目で報告されているように過度の飲酒者などはサービス 提供を拒否する
権利が与えられているので間違いである

性奴隷制度であるとの批判については、上記のように事実認識が間違っているので性奴隷制度には当たらないのではないか
また、高額の報酬のもとで売春がプロとして行われ、生活環境も上記の報 告書の内容に見るように良好で厚遇されているので
奴隷という概念には該当しないのではないかと言える










 The conditions under which they transacted business were regulated by the Army, and in congested areas
regulations were strictly enforced. The Army found it necessary in congested areas to install a system of prices,
priorities, and schedules for the various units operating in a particular areas.

労 働の条件は軍に規制され、そして混雑した地域では規則は厳密に履行された。
軍は、混雑した地域では特定の分野で作戦中の様々な部隊に対し、価格、優先順位、およびスケジュールの制度を
導入する事が必要であると認識していた。

According to interrogations the average system was as follows:

尋 問によると、平均的な制度は以下の通り; 

1. Soldiers
 10 AM to 5 PM   1.50 yen   20 to 30 minutes
    一般兵  午前10時 〜午後5時  1.5円    2030
 
2. NCOs   5 PM to 9 PM   3.00 yen   30 to 40 minutes
    下士官  午後5時〜午後9時  3円    3040
 
3. Officers   9 PM to 12 PM   5.00 yen   30 to 40 minutes
    将校   午後9時〜午後12時  5円    3040

These were average prices in Central Burma. Officers were allowed to stay overnight for twenty yen.
In Myitkyina Col. Maruyama slashed the prices to almost one-half of the average price.

こ れらはビルマ中部での平均価格である。将校は、20円 で夜通し滞在する事を許されていた。
ミートキーナでは、丸山大佐がおよそ平均値段の半分に価格を値引きした。

解説Summary & Comment

1慰安婦のサービス提供時間、利用時間と価格は兵隊のランクでルールが作成され、厳密に守られている―特に利 用が
混雑する地域では厳格に守られていた

2尋問で把握された平均的な兵隊のランク別のサービス提供時間利用時間や価格は前記のとおりである







The soldiers often complained about congestion in the houses. In many situations they were not served
and had to leave as the army was very strict about overstaying. In order to overcome this problem the Army set aside
certain days for certain units. Usually two men from the unit for the day were stationed at the house to identify soldiers.
A roving MP was also on hand to keep order.

兵 士達は、しばしば慰安所の混雑に関し不平を述べた。軍は長居に関して非常に厳しかったため、
多くの状況で彼らはサービスを受ける事なく去らねばならなかっ た。この問題を克服するため、
軍は特定の部隊に特定の日を設定した。通常、当日の部隊から2人の男性が、兵士を特定するため
慰安所に配置された。秩序を保 つため、憲兵が近くを巡回していた。

Following is the schedule used by the "Kyoei" house for the various units of the 18th Division while at Naymyo.

以 下は、第18師 団の様々な部隊が Naymyoに いた間、"Kyoei"慰 安所により使用されたスケジュールだ。

Sunday -18th Div. Hdqs. Staff
: (日)、第18師 団. 指 令部スタッフ
Monday- Cavalry: (月)、騎兵
Tuesday- Engineers: (火)、技師
Wednesday- Day off and weekly physical exam.: (水)、休日および毎週の身体検査
Thursday-   Medics: (木)、医療スタッフ
Friday- Mountain artillery: (金)、山岳砲兵隊
Saturday-  Transport: (土)、輸送部隊

Officers were allowed to come seven nights a week. The girls complained that even with the schedule
congestion was so great that they could not care for all guests, thus causing ill feeling among many of the soldiers.

将 校は、週に7晩来る事を許されていた。女性達は、スケジュールがあっても非常な混雑のため全ての客に
対し対応する事ができず、結果、軍人の多くに残念な思いをさせていると不平を述べた。


Soldiers would come to the house, pay the price and get tickets of cardboard about two inches square
with the prior on the left side and the name of the house on the other side. Each soldier's identity or rank
was then established after which he "took his turn in line". The girls were allowed the prerogative of refusing
a customer. This was often done if the person were too drunk.

兵 士は、慰安所に来て、代金を支払い、左側に順番が、反対側に慰安所名が記された2インチ四方程度
の段ボール紙のチケットを受取る。各々の兵士の所属、あるいは階級は、彼が
"列 に順番に並んで"後 に確認された。
客を拒否する特権が女性達に許されていた。過度に酔っている場合には、しばしばこれが適用された。

解説Summary & Comment

1利用スケジュールは利用部門により曜日で割り振られていた
利用者は、慰問所で料金を支払い、利用チケットを受領して利用していた

2慰安婦には毎週1日の休 日が与えられ、身体検査も毎週実施されていた

3慰安婦には、過度の飲酒者などの利用を拒否する権利が 与えられていた









 The "house master" received fifty to sixty per cent of the girls' gross earnings depending on how
much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average
month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the "master".
Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

"舎 監"は、 慰安婦の 契約にサインした時点で各々の女性がどの位の負債を負っていたかにより、慰安婦の総収入の
50
60%を 受け取った。これは、慰安婦が平均的に月に約1,500円 の総収入を得ていたこと意味していた。
慰安婦は、
750円 を"主 人"に 渡した。多くの"主 人"が、 彼女らに食物その他の物資に高い価格を請求する事により、
彼女らの暮らしを非常に苦しくした。


 
In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home.
Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

1943年 後半、日本軍は前払い金の債務を返済した女性は帰国する事ができるという命令を出した。
何人かの女性がこうして韓国に帰国する事ができた。


The interrogations further show that the health of these girls was good. They were well supplied with all types
of contraceptives, and often soldiers would bring their own which had been supplied by the army.
They were well trained in looking after both themselves and customers in the matter of hygiene.
A regular Japanese Army doctor visited the houses once a week and any girl found diseased was
given treatment, secluded, and eventually sent to a hospital. This same procedure was carried on within
the ranks of the Army itself, but it is interesting to note that a soldier did not lose pay during the period he was confined.

尋 問は、さらに慰安婦の健康状態が良好であった事を示している。彼女達は全ての方式の避妊具を供給され、
そして、しばしば、兵士は自身が軍から支給された物を持参して利用した。彼女達は、衛生の問題に関し、
自分達と顧客の両方の世話をする訓練を受けた。週に1度、日本の正規の軍医が各慰安所を訪れ、
病気にかかった女性は 治療を受け、最終的には病院に送られた。陸軍の士官・兵士達にもこれと同じ処置が施されたが、
兵士が隔離されていた期間の賃金も失効しないことは興味深いものである。

解説Summary & Comment

1慰安婦の平均月収は1500円であった―これは当時の日本の総理大臣の給与(800円)の約2倍、日本軍の
 将校の給与の数倍の給与に当たる
 また、一般兵士の平均給与は20円前後であった(15-25円)―高くても50円
 このように、慰安婦の給与は極めて高額の給与である− 当時の韓国の経済は日本より物価が安いので更に倍以上の
 価値があったと言えることから韓国での給与としては著しく高額の報酬であったと言 える
 元日本軍兵士は、韓国人慰安婦が2-3年働くと韓国で家が持てて一生暮らせると言われていたと 証言している
 (参考 1944年の1円は現在の2867円に当たる―日銀による物価に基づく計算による)

2慰安婦が前払い金がある場合は、その支払いのため給与の半額が舎監によりに差し引かれていた
 したがって、給与の半額が慰安婦に支給されたことになる
 この給与から舎監に食費や物品購入の経費を支払っている−これらの価格が高額で生活を苦しくしたと尋問結果では
 報告されている

3一方で、「生活及び労働の条件」で報告されているように、生活は贅沢であり、必要なものは購入できたとしている
 更に、慰安婦は多数の日本兵から、慰問袋で送られてきた物品を贈り物として受けとっており、これで
 足りないものを自分の負担で購入すれば足りたものである

4慰安婦の帰国については、1943年以降は、前払い金を返却すれば、帰国が可能と なっている

5慰安婦問題で、日本政府に損害賠償を求めるとするものがあるが、以下の理由で要求の合理性が全く 無い

プロの売春婦が極めて高額の報酬・給与を受けていたものであるので、損害賠償が発生 する根拠が全く無い
強制連行され悲惨な環境で売春を強要されていたとしているが、「慰安婦の募集」、「生活及び労働の 条件」、
「給与と生活の条件」及び「兵士の反応」でみる限りにおいて、そのような状況にあったとは言えない逆であり、
贅沢な生活環境で厚遇されている



6慰安婦は人身売買であるという批判があるが・・・

 人身売買であるという批判については、次の理由で該当しないと言える

 上記のように、慰安婦が極めて高額の給与を月給として定期的に支給されており、雇用に基づくものであるので
 明確に人身売買ではない

 極めて高額の給与を支給され、それを持ち帰れる人身売買など存在しない

 給与など雇用条件を示して募集しているので、このような募集をする人身売買など存在しない

 前払い金を完済すれば帰国する自由があるので人身売買ではない―人身売買は一方通行
 
 どうしても人身売買というのであれば、まず、韓国人の両親や親族が人身売買の罪に問われることになる
 ―前払い金(希望する場合)を要求し受領していることなどから

7慰安婦の健康管理―健康状態は良好であり、避妊などの対策が講じられるとともに、健康診断も
 軍医により実施されていた
 また、病気になると日本軍の病院で治療を受けることができた









 In their relations with the Japanese officers and men only two names of any consequence came out of interrogations.
They were those of Col. Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina and Maj. Gen.Mizukami,
who brought in reinforcements. The two were exact opposites. The former was hard, selfish and repulsive
with no consideration for his men; the latter a good, kind man and a fine soldier, with the utmost consideration
for those who worked under him. The Colonel was a constant habitu of the houses while the General was
never known to have visited them. With the fall of Myitkyina, Col. Maruyama supposedly deserted while
Gen. Mizukami committed suicide because he could not evacuate the men.

尋 問の結果、日本人将校および兵士との関係について、結局、2つの名前だけが出て来た。
それらは、ミートキーナ守備隊の指揮官の丸山大佐、および援軍を引連 れてきた水上少将であった。
2人は正反対である。前者は、厳しく利己的でよそよそしいもので、彼の部下への配慮が無かった。
後者は彼の下で働く者達に最大の配慮 をし、良い親切な男性であり、素晴らしい軍人であった。
司令官は決して慰安所を訪れなかったが、大佐は慰安所の常連であった。
ミートキーナ陥落により、水上 司令官は兵士を退避させる事ができなかったため自決した一方、
丸山大佐は恐らく逃亡した。

解説Summary & Comment

1日本人将校と兵士については、ミー トキーナ守備隊の指揮官の丸山大佐と援軍の水 上少将の
 名前が尋問で上がっている

2丸 山大佐は厳しく利己的で部下への配慮が無い、水 上少将は親切で部下への配慮があったとしている






The average Japanese soldier is embarrassed about being seen in a "comfort house" according to
one of the girls who said, "when the place is packed he is apt to be ashamed if he has to wait in line
for his turn". However there were numerous instances of proposals of marriage and in certain cases
marriages actually took place.

"慰 安所が客で一杯の時に並んで順番待ちしなければならないときに兵士が恥ずかしく思う傾向がある"
言った慰安婦女性の1人によると、普通の日本兵は
"慰 安所"に いる事を人から見られるとバツが悪そうで
あったとしている。
しかしながら、兵士から慰安婦への多数の求婚の例があり、そしてある場合には実際に結婚が行なわれている。


All the girls agreed that the worst officers and men who came to see them were those who were drunk
and leaving for the front the following day. But all likewise agreed that even though very drunk the Japanese
soldier never discussed military matters or secrets with them. Though the girls might start the conversation
about some military matter the officer or enlisted man would not talk, but would in fact "scold us for discussing
such un-lady like subjects. Even Col. Maruyama when drunk would never discuss such matters."

全 ての女性によると、彼女らに会いに来た最悪の将校と兵士は、酔っていて、そして翌日に出ていく者達
であるという点で一致している。
しかし同様に、大変に酔っぱらってはいても、日 本兵が彼女らと軍事や機密については決して
議論しなかった事に全員が同意している。女性は何らかの軍事の件に関して会話を始めても、
将校 あるいは下士兵は話さず、実際、
そのようなことについては、女 性的でない話題であるとして私達を
たしなめていた。また、丸山大佐が酔っていた時さえ、そうした件について決して議論しなかった


The soldiers would often express how much they enjoyed receiving magazines, letters and newspapers from home.
They also mentioned the receipt of "comfort bags" filled with canned goods, magazines, soap, handkerchiefs,
toothbrush, miniature doll, lipstick, and wooden clothes. The lipstick and cloths were feminine and the girls couldn't
understand why the people at home were sending such articles. They speculated that the sender could only
have had themselves or the "native girls".

日 本人兵士達は、しばしば、家から雑誌、手紙、新聞を受け取る事がどれほど楽しいものであるかを語っていた。
また、彼らは缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチ、歯ブラシ、ミニチュアの人形、口紅、および木製の衣服で一杯の
"慰 安袋"の 中身について語っていた。口紅と衣類は女性用品であり、女性達は家族がなぜそうした物資を兵士に
送るのか理解できなかった。彼女らは、送った者は単に、自分達、あるいは
"現 地の女性達"への贈り物が念 頭に
あったのではないかと推測した。

解説Summary & Comment

1兵士は慰安所の利用について羞恥心を持っていた

2兵士が慰安婦に求婚した例が多数あり、実際に結婚し たケースもある

3利用者で最悪なのは酒に酔った利用者であるとしている

4日本兵は酔っていても軍事関連のことについては話をしなかった

5日本兵は、家から送られてくる慰問袋を楽しみにしていた

6慰問袋で送られてくるものに口紅や衣類などの女性用のものがあるが、これらは、慰安婦や
現地の女性が念頭にあったのではないかと考えていた

7最悪な利用者が酒に酔った者と報告されているぐらいで、上記の各事項からみても、慰安婦と利用者の関係は
特段に悪いものが把握・記載されていない−これからみると、慰安婦が非人道的で売春を強要されていたとする
批判が行われているが、これを実証することはできないものと言える
日本人兵士が、慰安婦に多数求婚しており、実際に結婚したケースがあるというのが、兵士による慰安婦の扱い
が良好であったことを表していると考えられる









 "In the initial attack on Myitleyna and the airstrip about two hundred Japanese died in battle,
leaving about two hundred to defend the town. Ammunition was very low.

Myitleynaと 滑走路への初期の攻撃で、およそ 200人 の日本人が戦死し、町を防衛する 200人 が残った
弾薬は非常に少なかった”。


Col. Maruyama dispersed his men. During the following days the enemy were shooting haphazardly everywhere.
It was a waste since they didn't seem to aim at any particular thing. The Japanese soldiers on the other hand
had orders to fire one shot at a time and only when they were sure of a hit."

丸 山大佐は部下を分散した。その後の数日間、敵は行き当たりばったりにあらゆる所を射撃していた。
何であれ、彼らは特定の標的を狙っていたようには見えなかっ たため、無駄なものであった。
一方、日本の兵士は、彼らが確実に命中できると確信がある時だけ撃つようにと命令されていた


 
Before the enemy attacked on the west airstrip, soldiers stationed around Myitkyina were dispatched
elsewhere, to storm the Allied attack in the North and West. About four hundred men were left behind,
largely from the 114th Regiment. Evidently Col. Maruyama did not expect the town to be attacked.
Later Maj. Gen. Mizukami of the 56th Division brought in reinforcements of more than two regiments
but these were unable to hold the town.

敵 が滑走路の西を攻撃する前、ミートキーナ周辺に配置された兵士は、北方および西方での連合軍の攻撃を
迎撃するために他の場所に急派された。主に第
114連 隊から派遣された約 400人 の兵士が後方に残された。
丸 山大佐は、 明らかに、町が攻撃されるとは予想していなかった。その後、第56師 団の水上少将は
2連隊以上の援軍を引き連れてきたが、その援軍は町を防衛することができなかった。


 
It was the consensus among the girls that Allied bombings were intense and frightening and because of
them they spent most of their last days in foxholes. One or two even carried on work there.
The comfort houses were bombed and several of the girls were wounded and killed.

連 合軍の爆撃が激しく恐ろしというのが女性達の間の意見の一致であり、そりため彼女達は防空壕で
最後の数日のほとんどを過ごした。1人か2人は、そこでも仕事をした。慰安所が被弾して、
数人の女性が死傷した。

解説Summary & Comment


1ミートキーナへの初期攻撃で日本軍は200人が戦死した―日本軍は弾薬が不足していた

2丸山大佐は部下を分散配置するととも、水上少将の援軍が派遣されたが、ミートキーナを防衛することはでき なかった

3慰安婦たちは、ミートキーナでの戦闘の最後の段階では、防空壕に避難していた
 慰安所も被弾し数人の女性が死傷している






The story of the retreat and final capture of the "comfort girls" is somewhat vague and confused
in their own minds. From various reports it appears that the following occurred: on the night of July 31st
a party of sixty three people including the "comfort girls" of three houses (Bakushinro was merged with Kinsui),
families, and helpers, started across the Irrawaddy River in small boats. They eventually landed somewhere
near Waingmaw, They stayed there until August 4th, but never entered Waingmaw. From there they followed
in the path of a group of soldiers until August 7th when there was a skirmish with the enemy and the party split up.

The girls were ordered to follow the soldiers after three-hour interval. They did this only to find themselves on the
bank of a river with no sign of the soldiers or any means of crossing. They remained in a nearby house until August 10th
when they were captured by Kaahin soldiers led by an English officer. They were taken to Myitleyina and then to the
Ledo stockade where the interrogation which form the basis of this report took place.

退 却および慰 安婦が 最終的に捕虜となる話は、彼女達の心の中でいくらか曖昧であり混乱もしている。
様々な報告から、以下の事が起こったようである:
7月31日 の夜、3軒の慰安所("Bakushinro" "Kinsui"に 統合された)
"慰 安婦"を 含む 63人 の集団(家族、および家政婦)は、小さなボートでイラワジ川を渡河し始めた。
彼らは
Waingmaw近 くのどこかに上陸し、そこに 8月4日 まで留まった。
しかし
Waingmawに は決して入らなかった。そこから、敵と小競り合いがあり集団が散り々々となる 8月7日 まで、
彼らは兵士の一団の後に続いた。女性達は3時間の間合いの後に兵士に続くよう命令された。
彼女達はこの後、兵士達は影も形も無く、また、渡河するための手段も無いまま川岸に残されている事を知った。
英国人将校に指揮された
Kaahin兵 に捕虜にされた 8月10日 まで、彼女達は近くの家に留まっていた。
彼女達は、
"Myitleyina"へ、 そしてこの報告書の基礎となる尋問が行われた Ledoの 営倉に連行された。


解説Summary & Comment

1日本軍が退却していくなかで、慰安婦等の非戦闘員・市民も同行させられたが、最後には川岸で放置(事実上の開放)された
2慰安婦は近隣の家に避難していたが、8月10日、そこで捕虜として連合国軍にとらえられ捕虜とされた
3その後、本報告書の尋問が行われた場所に移動させられた






None of the girls appeared to have heard the loudspeaker used at Myitkyina but very did overhear
the soldiers mention a "radio broadcast."

女 性達で、ミートキーナで使用された米軍の大音量スピーカーの宣伝放送を聞いた者は誰もいないようであり、
しかし日本の兵士達が
ラ ジオ放送に ついて会話するのを立ち聞きしていたようである。

They asked that leaflets telling of the capture of the "comfort girls" should not be used for it would
endanger the lives of other girls if the Army knew of their capture. They did think it would be a good idea
to utilize the fact of their capture in any droppings planned for Korea.

彼 女達は、軍が彼女らが捕虜となった事を知っているなら、他の女性達の命を危険にさらすことなので、
慰 安婦の 捕虜について言及したパンフレットは使用されるべきでないと要請した。彼女達は、
韓国向けに計画されたどのようなビラ散布計画であれ、彼女らが捕虜となった事実を利用する事は
名案だと考えている。

解説Summary & Comment

1慰安婦で米軍が行っていたスピーカーによる宣伝放送を聞いたものはいなかった
 しかし、慰安婦は、日本軍の兵士がラジオ放送について会話するのを聞いており、情報を得ていた

2慰安婦は、米軍が、慰安婦が捕虜となったことを宣伝で使用すると他の慰安婦の生命を危険なものとするので
 宣伝には使用しないよう要請した

3なお、慰安婦は、慰安婦が捕虜となったことを韓国で宣伝に使用することについては、名案と考えていた





Map of Burma ―関連地図









Name list of comfort girls―慰安婦等の名簿



報告書には次のように名簿が収載されている






朝鮮戦争におけるアメリカ軍による韓国慰安婦の利用と韓国の違法・非人道慰安婦の実態・・・・・










Source of information:

Report No.49
Texas Daddy/Comfort Women
Video on the Report
Korean  Comfor Women and Korea





慰安婦問題に関するアメリカ連邦議会調査局報告書―組織的・強制的徴用なし

慰安婦問題に関するアメリカ連邦議会調査局報告書/US Congress Report
Report/PDF




93歳旧陸軍歩兵中隊上等兵、戦時中の慰安婦達の実態を語る/Copy right, SAPIO